東日本大震災から7年 僕の3月11日

お久しぶりです。あーにゃです。

少しづつ、仙台にも春の風が吹いて来ましたね。

桜の開花が楽しみです。

 

さて、今日は、3月11日。

7年前の仙台、そして東北では超巨大地震が発生しました。

 

東日本大震災の時

ちょうど一年前、他のメンバーが同じような記事を出していたので、

今年は僕が担当しようかと思います。

 

3月11日、確か金曜日でした。

冬から春への季節の変わり目で、風邪をこじらせてしまい、

ラッキー?なのか早退して来たのを覚えています。

 

まだ昼間でも寒いので、ストーブをつけていました。ヒーターではなく。

そして、地震がきました。当時の2月はとても地震が多く、若干慣れてきてたんですが、

最初のコトの揺れから大きな揺れへまでの時間がとても短く、

すぐにガタガタでかくなったような感じでした。最初のコトって時の瞬間が

まだ忘れないです。

めっちゃ地震長かったですよね。体感的には2回目のデカイ地震(本震の方)

で、ガーンと行き、冷蔵庫の扉が空いたのと、食器が一瞬で全て壊れました。

 

なんやかんやで地震は耐え抜き、ふうぅ、と思った時には2時55分くらいでした。

家は怖いので、近所の人たちが集まる集会所?的なところに行きました。

発電機があって、光もありました。

たくさん人きたので、お菓子とかパンとか、めっちゃありました。食には

苦労しなかったですね。

 

仙台に外国人グループがきてたみたいで、

10人くらいの外国人が来ました。

その人たちと仲良くなって、数年後にまた仙台に会ったんです。

 

その人は最終的にはそこで寝ました。

僕のおうちにはベランダがあって、南向きなんですが、

すごく奥の方にずっと赤くぼやぼやしてたんですが、多分仙台港のコンビナート炎上?

だと思います。

さらに、めちゃんこ大規模停電なので、外は真っ暗なんですが、

ゆえに、めちゃめちゃ星が見える!!んです。

あの時はとても感動しました。

天の川とかは見れないですが、すごかったです。でも

記憶には一回しか見てないんですよね。

 

数日後、これまた近所の小学校に避難します。

小学校ともなると、備蓄倉庫的なものは最強です。

アルファ米?

水でも炊けるご飯が1日2回でたり、テレビがあったり、携帯充電できたりと、

快適といえば快適な避難生活でした。

 

そして、原発爆発です。すぐにそのニュースは届いて、

少し原発に詳しかった父親が、被爆して、将来なんかあったらまずいと思い、

秋田まで避難しました。

そこで1週間ホテル暮らしをしました。

秋田も地震はあったんですが、言っても揺れてないんで、

電気はついてるし、図書館や、飲食店、100均とか市場とか全部営業してました。

 

そして、仙台に戻ってくると、少しづつ平凡な日常を取り戻していました。

そこからはあまり他とは変わらない日常でした。

ガスがずーっと使えなかった記憶がありますね。

 

幸か不幸か、日本は地震大国そして、その中でも東北地方は多い方です。

風化させないなんて言いますが、頭の隅っこにでもおいておけば、

次地震がきても大丈夫。

 

皆さんの震災の時のお話も聞いて見たいです。

 

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