仙台三題噺「定禅寺通」「ずんだ羊羹」「ルイボスティー」

一目ぼれをした。

23歳になった俺には、ちゃんとこの感情に名前を付けることができる。そう、これは「恋」だ。

俺はその人を良く晴れた日の定禅寺通で見た。その人はまるで物語から出てきたみたいに美しかった。その人と現実の世界との間には何か目には見えない隔たりがあるように感じたし、ケヤキ並木から降り注ぐ木漏れ日はまるでその人を照らし出すスポットライトだった。世界中がまるで彼女のために存在しているんじゃないかと感じるほど、彼女のいる場所が世界の中心だった。

その日、午前中の仕事を早く片付けることができた俺は、窓の外に見える綺麗な青空に惹かれてたまには外で食事がしたいと思った。そしてコンビニでおにぎりを2つと野菜ジュースを買って定禅寺通へと向かい、どこか座って食事ができる場所がないかとケヤキ並木を歩いた。そして、ベンチに座るその人を見つけた。

その人は、右手に本に挟み、左手にサンドイッチを持ってそれを口に運んでいた。背中をピンと張り、視線をまっすぐに本へと向けていた。まるでその本の世界へと入りこんでいるようだった。何ものも彼女には近づけないように見えた。彼女の存在だけが現実から少し浮き出ているようだった。綺麗に整えられたショートカット、白いブラウス、濃いグリーンのロングスカート、彼女が座るそのベンチ、ケヤキ並木、降り注ぐ木漏れ日、全てが彼女にピタリとはまっていた。ただ美しかった。そしてその人を見た瞬間、俺は恋に落ちた。

どうしよう。

どうしたら良いんだろう。

俺は突然現れたその感情に、どうすれば良いか分からずに立ち尽くした。視線をただ真っ直ぐに彼女へと向けた。しかしその人はすぐにサンドイッチを食べ終え、そして立ち上がるとどこかへ去って行ってしまった。俺はその様子を立ち尽くしたまま眺めた。座る姿だけじゃなく、歩く姿まで美しいのか、俺はそんなことを思った。

その人が本を閉じるとき、本の表紙に「交響楽」という文字が見えた。作者はカタカナで書かれていたように思う。彼女が去ってしまってすぐ、俺はスマホで「交響楽 小説」と検索した。すぐに「田園交響楽」という小説が見つかった。作者はアンドレ・ジッド。ノーベル文学賞をとったフランス人らしい。ノーベル文学賞という文字を見て、彼女が読んでいる小説に相応しいと思った。きっとこの本を読んでいたに違いない。

帰り道、一番町の本屋さんに寄ってその「田園交響楽」を買った。そして定食屋に入って生姜焼き定食とビールを頼み、食事を待ちながらその本を読んだ。ビールが届くと、ビールを飲みながら続きを読んだ。その本が書かれたのは1919年。しかもノーベル文学賞を取るような本だからさぞ難しい内容だろうと思ったけれど、案外に読みやすい本だった。とある牧師が、盲目でしかも口の聞けない、身寄りのなくした少女ジェルトリュードに出会い、その少女を引き取ることになる。

そこまでの話を読んだところで生姜焼き定食が届いた。俺は本を読むのをやめて定食をがっついた。続きたはまた明日、昼の定禅寺通で読もう。昼の定禅寺通に行けば、また彼女に会えるかもしれない。この本を手にしていれば何か話をするきっかけがつくれるかもしれない。俺はそんな期待に胸を膨らませていた。

その次の日からはしばらく天気の優れない日が続いた。雨が降っては止んでを繰り返し、雨が止んでいる間も今にも降り出しそうな状態が続いた。俺はそれでも毎日定禅寺通へと足を運んだ。昼の時間帯はなんとか雨は止んでいることが多かった。俺はベンチに座ってコンビニで買ったおにぎりを食べると、昼休みが終わるギリギリまで粘って田園交響楽を読んだ。そして彼女が来るのを待ち続けた。けれども、彼女が定禅寺通に姿を現すことはなかった。

物語は進み、牧師の献身的な教育のおかげでジェルトリュードは徐々に言葉を理解するようになった。やがて普通の人と同じように会話ができるようになった。ジェルトリュードは牧師に惹かれ、そして牧師はジェルトリュードに惹かれていく。しかし、牧師には妻子がいる。

初めてその人を定禅寺通でみてから10日程が過ぎた頃、久しぶりに青空が広がった。俺は少しでも定禅寺通で長い時間を過ごせるよう、午前中めいっぱい働いて仕事を片付け、12時のチャイムが鳴ると同時に外へ出た。そしていつもと同じようにコンビニでおにぎりを2つと野菜ジュースを買って定禅寺通へと向かった。その日はとても気持ちの良い晴れ方をしていて、5月の爽やかな風が吹いていた。久しぶりに晴れたせいもあってか、定禅寺通にはいつも以上にたくさんの人がいた。いくつかあるベンチのほとんどには人が座っていて、それぞれが昼食を取ったり、昼寝をしたりしていた。俺は何とか空いているベンチを見つけてそこに座って昼食を済ませると、いつものように田園交響楽を開いた。

物語はちょうどクライマックス。手術に成功したジェルトリュードは目が見えるようになった。その目に映る世界は想像していた以上に美しいものだった。けれども、ジェルトリュードは牧師の隣にいる疲れ切った妻の姿を目にしてしまった。ジェルトリュードは牧師からの愛を感じていたけれど、それは本来牧師の妻のいるべき居場所で、自分はその居場所を奪ってしまっていたのだと知った。目の見えるようになったジェルトリュードは自ら聖書を読み、聖書にある「もし盲目(めしい)なりせば、罪なかりしならん」という言葉を知った。「われ曾(かつ)て法律(おきて)なくして生きたれど、誡命(いましめ)きたりし時に罪は生き、我は死にたり」という言葉を知った。ジェルトリュードはそれらの言葉を胸の中で一日中繰り返した。そうして、自らの罪を知ってしまったジェルトリュードは川へと身を投げた。何とか一命をとりとめたものの、ジェルトリュードは心身ともに衰弱してしまい、命を落とす。そして物語は終わる。

なんて哀しい物語なのだろう。物語の途中、目の見えないジェルトリュードが想像する世界の様子が語られていて、それがとにかく美しかった。なんて美しい物語なんだろうと思った。それは、まるで俺が初めて彼女を目にしたときと同じように、全てが輝いて見える世界だった。そういった文章を読んだ俺は、きっと彼女は彼女を取り巻く美しい世界の中心で、この美しい物語を読んでいたんだろうと思った。それなのにこんな終わり方をするなんて。なんて、哀しいんだろう。

「あの? ここ座っても良いですか?」

ふいに声が聞こえた。振り向くと、そこには彼女の姿があった。

俺が口をバカみたいに開けて固まっていると、彼女は「あ、お邪魔しちゃいましたか? すみません」と言い、立ち去ろうとする素振りを見せた。

「あっ、いや、全然、そんなことないです。どうぞ、座ってください」

俺はしどろもどろになりながらそう言った。彼女は「ありがとうございます」と言うと、僕の左隣に人一人分くらいのスペースを空けてベンチに腰掛けた。そしてカバンからサンドイッチと本を1冊取り出した。以前と同じように右手に本を挟み、左手にサンドイッチを手にするとそれを口に運んだ。背中をピンと伸ばし、何ものも寄せ付けないかのように本の世界へと入り込んでいった。彼女の手にしている本は、やはり田園交響楽だった。俺は、また彼女と出会えたこと、そして彼女と同じ本を手にしていることに、心臓が高鳴るのを抑えられなかった。

俺が彼女を見つめながら固まっていると、彼女は「あの・・・? 何か?」と怪訝そうに言った。俺はとっさに「あ、いや、たまたま同じ本を読んでいたので、すごい偶然だなあと思いまして・・・」と言った。 すると彼女は「ほんとうですか!?」と言って笑顔を見せた。パッと花が咲くような笑顔だった。その笑顔を見た瞬間、胸の中に温かい感情が溢れるのを感じた。俺は、「ええ、ちょうど今読み終わったところなんです。ほら、コレです」と言って手にしていた文庫本を彼女に見せた。彼女は俺の手にしている本を目にすると、今度は両目を細めて笑った。そしてこう口にした。

「とても美しい物語ですよね。私、この物語がとても好きなんです。哀しい結末ではあるけれど、それでもとても美しい物語だなって」

続けて彼女はこう言った。

「ねえ、ジェルトリュードが音楽会でベートーベンの田園交響楽を聴くシーンがあるでしょう? ほら、ちょうどこのページ。ジェルトリュードは牧師さまに『あなたがたの見てらっしゃる世界は、本当にあんなに美しいのですか?』って、尋ねますよね。目の見えないジェルトリュードは心の中に美しい世界を想像しているけれど、それはきっと本当に美しい世界なんだろうって思うんです。私、新緑の木漏れ日に包まれる定禅寺通のこのケヤキ並木を目にしたときに、ジェルトリュードの想像した世界はこんなんだったんじゃないかって思ったんです」

彼女は俺に本のページを見せながら、とても嬉しそうにそう話した。それはまるで雷雲から地上に降り注ぐ一筋の光のような笑顔だった。俺は自分の中にある恋心に改めて意識を向けた。今、俺の目の前には自分の恋する人がいる。その事実だけですべての真実が満たされる。

「だから私、よく晴れた日にはいつも定禅寺通に来てご飯を食べているんです。晴れの日以外は、ちょっと用事があって来れないっていうのもあるんですけどね」

その言葉を聞いた俺は、初めて彼女を目にしたのも良く晴れた日だったことを思い出した。晴れの日だけに定禅寺通に現れる、美しい彼女。雨や曇りの日には、どこで、何をしているんだろうか?

「ねえ、あなたは田園交響楽が好きなんですか?」

彼女は僕に尋ねた。

「はい、好きです。まるで一目ぼれをしたみたいに、強く心が惹かれています」

俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。彼女はまた両目を細めて微笑んだ。俺は、これからきっと何かが始まるんだと強く感じていた。

 

(もしかしたら続く)

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は実在のものとは関係ありません。 

※参考文献:神西清訳『田園交響楽』、新潮文庫

 


 

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