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皆さんこんにちはこんばんは。ベルさんです。

 

卒業シーズンってやつらしいです。

友人や先生とお別れして悲しむ人。

もう学校に行かなくて済むぜー!とよろこぶ人。

中高一貫などで特に無感動な人。

まあさまざまな方がいらっしゃると思います。

そして新生活が始まりますね。

期待に胸を膨らませたり、不安を感じたりしている方も多いでしょう。

不安を感じている方はその時の思い出を焼き付ければきっと大丈夫です。

新しい生活でくじけそうになっても、離れてしまった友人たちもどこか別の場所で頑張っているんだなと思って思い出を振り返れば、また立ち上がれるはずです。

 

ちなみに私は中学の卒業式を最速で帰った人間です。たぶん僕が一番早いと思います。

高校の時は帰る気満々だったけど部活の同級生と後輩に呼ばれてだらだらと居残ってた気がしますね。

春休みは新生活に対する不安も無く友人と遊んでましたね。大学も地元だし。

プロ野球選手の岸考之選手や声優の山寺宏一さんが卒業生にいらっしゃる某学院大です。

 

話は変わりますが仙台出身の有名な方は数多くいらっしゃると思います。ちなみに仙台で有名な伊達政宗は山形県米沢市生まれ。

仙台出身の有名人の中でも私は井上成美海軍大将が好きです。私自身歴史、特に近現代史が好きなので。

あまりご存知ない方も多いかと思います。

最後の海軍大将と呼ばれている方ですね。明治22年(1889年)に仙台市で生まれました。

仙台二中、現在の仙台第二高等学校を優秀な成績で卒業。その後海軍兵学校に進学し卒業。

ものすごく真面目で実直な人だったそうで、思ったことをズバッという人だったそうです。それゆえに敵も多かったとか。

軍務局長時代には米内光正海軍大臣、山本五十六海軍次官(のちに連合艦隊司令長官)とともに日独伊三国同盟に猛反対し戦争反対を訴えていました。

当時のマスコミからは相当バッシングされたみたいですけどね。

結局同盟は締結され、1941年12月真珠湾攻撃とともにアメリカ、イギリス等連合国との戦端が開かれてしまうわけですが。

真珠湾攻撃の頃には第四艦隊指令としてトラック島にいました。太平洋に浮かぶ小さい島でざっくり言うとパプアニューギニアの右上。

その後第四艦隊司令長官として1942年5月に起きた世界初の空母同士の決戦、珊瑚海海戦を戦います。

結果的にはアメリカ側の戦略的勝利となり、井上さんは内地の海軍学校校長に転属となってしまいます。

終戦後は表に出ることはほとんどありませんでした。

軍人として、自分の多くの部下や、民間人を死なせてしまったとしてその責任と生涯向き合っていったそうです。

このことからも彼が非常にまじめな人物であることが分かりますね。ちなみに開戦時は第四艦隊司令長官ですが戦争そのものの開戦の責任を負うという立場であるというのはかなり薄いと思います。

現在は軍人としてはあまり評価されていないという見られ方もされている人物ですが、その真面目で実直な生き様は見習っていきたいと思います。

 

今回は仙台出身の有名人にはこんな人もいるんだなーという感じでざっくりと紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

あまり固く考えずにへー、こんな人もいたのかーという感じで見ていただければと思います。

 

まあ、あまり長くなってしまうのもあれなんで今回はこの辺で失礼します。それではまたねー。

 

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